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ビル・ヴィオラ – 《クロッシング, The Crossing(1996)》 自己消滅の表現

The Crossing

「ビル・ヴィオラ: はつゆめ」展へ。全体的にとても美しく、迫力があり、ストレートに訴えかけてくる印象で、一発でヴィオラファンになってしまいました。いろんなところで感想が書かれていますが、個人的に最も深く焼きついてしまった「The Crossing」について。

暗い室内、高さ4メートル近い巨大な一枚のスクリーン、それを取り囲む大勢の人々、そしてスピーカーからのノイズ音。いままでに味わったことのない種類の、緊迫した空気。スクリーンに映る男がゆっくり歩きながら近づいてきて、初めて映像がスローモーションであることがわかる。アップになるにしたがって室内の緊張感も大きくなり、観客はこれから起ころうとしていることに注目する。男が立ち止まり一瞬の沈黙の後、足元には蝋燭を燈したような小さな炎が。

もちろん実際に人間を燃やしているわけではなく合成した映像なんですが、とてもリアルに作られています。しかし、そんなことを気にする余裕もないほどに映像が迫ってきて、スクリーンから目を離すことができません。

映像だけでなく、展示室に響く轟音、スクリーンを囲む観客の息遣い、炎/水が激しくなるにつれて、「反対側」を見ようと移動する人々、映像に比例してにわかに慌しくなる展示室内の雰囲気・・・全て含めて、ヴィデオ・アートとして捉えても良いのかもしれないです。

自己消滅

作品に対するキャプションは「自己消滅こそが超越と解放の唯一の手段である」というような内容の文で締められていて、作品の意図が少し読めた気がしました。つまり、激しい炎/水の中で突然消える男は自己のイメージであり、この炎や水の激しさは自己消滅に必要なエネルギーの莫大さの表れであることは明白です。人間のエゴや欲望がいかに強いものであるか、という仏教的な観念を持つアートとも解釈できるし、男=自己の背景の「闇」は、仏教思想でいうところの「無」の観念と重なります。さらに、表裏一体となったスクリーン、下から燃え盛る炎と上から流れ落ちる水などの対比は万物の二面性、そして仏教の「中道」精神を反映しているように思えました。

ヴィオラ自身、日本の文化には大きな影響を受けたと語っていて、それは、ある角度で作品にも表れているようです。また、どちらかというと外に外にメッセージを投げかけ問題提起するタイプというより、個人的な体験や自己との対話などをテーマにした作品が多く、内に向かっていく感覚を受けました。きっとその中で、ヴィオラ独特の人間の「感情」を追求するスタイルが確立されていったのではないでしょうか。ヴィオラが「時間が2倍になれば込められた感情も2倍になるから、スローモーションを多用するのだ」と語っていたのを後から読んで、The Crossingで感じた異常な緊張感の理由も掴めた気がします。

あの場でなければ感じることのできない貴重な体験、最終日に間に合って良かったです。

ビル・ヴィオラ: はつゆめ - Mori Art Museum